2025 年が始まったので何か書く
ここ 2 か月、仕事に追われ、さらにブログの内部リニューアルというややこしい作業に没頭していたせいで、更新が止まってしまっていた。 気づけば新しい年が始まっている。 なんとも言えない焦燥感に背中を押されるように、今こうしてタイピングをしている。
この忙しい期間で気づいたのは、日々何かに追われ続けていると、自分の中の判断力や思考力が驚くほど鈍るということだ。 それはもしかしたら文章に書き留めるべき瞬間なのかもしれない。 なのに、その余裕さえ持てなくなる。 この矛盾に自分でも苦笑いしてしまう。
本来なら、去年の振り返りと今年の抱負をここに書くのが常道かもしれない。 でも、それを公開することで「やった気になる」のが少し嫌だ。 自分の中にそっとしまっておきたいこともある。

あえて 1 つだけ言葉にするなら、「割れ窓1」を放置しないようにしたい。 些細な乱れやほころびを直さないでおくと、その環境に慣れることで徐々に蓄積され広がっていく(塵も積もれば山となる)。 気づいたときには、その小さな問題が環境全体を蝕んでいることもある。 それに早い段階で気づいて、芽を摘んでおくことで心の平穏を保っていきたい。
Footnotes
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「割れ窓」とは、「割れ窓理論(Broken Windows Theory)」という社会学や犯罪学の理論に由来する言葉で、環境の些細な乱れや秩序の欠如が放置されると、その状況がさらに悪化し、大きな問題や犯罪の増加を招くという考え方 ↩