少し 前の ことになるけど、 自作 PC を 解体して パーツごとに 売却した。
2022 年 1 月に 組み立ててから、 およそ 3 年半、 頼りに してきた 相棒。 何度も 手を 加えたりアップグレードしたりしてきたので、 手放すのは 簡単ではなかった。
ちょっとした "別れ" に 似た 感覚で、 これまでの 思い出が よみが える 中、 最後の 記念に 記事と して まとめて、 静かに 供養する ことにした。
シンプルだが巨大な PC ケース
2022 年は 世界的な 半導体 不足が ピークに 達し、 PC パーツの 価格が まさに 暴騰していた。 特に グラフィックボードは 価格が 異次元へと 飛躍し、 購入を 決断するのは それこそ 勇気と いうか、 一種の 狂気に 近い 状態であった。
PC 自作を 夢見る 者に とっては、 まさに 「苦渋の 季節」。 手に 届かない 高嶺の 花のような グラボを 眺めながら、 私も CPU や グラボを 買うべきタイミングを ひたすら 見計らい、 迷い 続けていた。
「今が 買いか? いや、 まだか?」と 考える こと数ヶ月、 ようやく 「欲しい 時が 買い時」と いう 悟りに 達した。
そも そも、 なぜ そこまでして 自作 PC に こだわるのか? 市販の 完成品も、 値段を 抑え つつ性能も 良い ものが 増えている この 時代。
だが、 自作 PC の 醍醐味は、 そこではない。
すべての パーツを 自分で 選び、 ひとつ ひとつ組み上げていく プロセスに こそ、 自作の 真髄が ある。
言うなれば、 デジタルの 旅を 自らの 手で 切り開いていく ような 体験。 そして、 完成品は もちろん 「自分だけの オリジナル」。 そこに かかる 時間も エネルギーも、 一つの 作品を 作り上げるような 満足感へと 変わる。
いよいよ組み立ての 当日、 箱を 次々に 開けて 新品の パーツを 取り出す瞬間、 心の 中の 少年が じわじわと 目覚めていくのが わかった。
そして、 電源を 入れてファンが 静かに 回り 始めた とき、 画面に BIOS の ロゴが ふっと 現れた あの 瞬間。
何もかもが 初めて 動き出す感動、 まるで 静かな 部屋に 生命が 宿ったかのような その 高揚感。 あの 感覚は、 今でも 胸の 中で 鮮やかに 蘇る。
PC ケースの側面
1 台の PC に、 SSD を 3 つ搭載すると いう 贅沢な 構成で、 異なる OS を 運用していた。
SSD1 (Arch Linux)メインの OS と して 使用。 主に 開発や プログラミング用に 使い、 シンプルで 洗練された 環境を 満喫していた SSD2 (Kali Linux)セキュリティ関連の 実験用。 ペネトレーションテストツールの 遊び場 SSD3 (Windows 11)ゲーム専用。 FPS や TPS も ストレスなく プレイできる 仕様で、 たまの 週末には 息抜きの 一役を 担ってくれた
PC 内部。本格水冷で組んでもスペースに余裕がありそう
最大の 反省点は、 何と 言っても 「PC ケースの サイズ感」だった。
当時は 「どうせなら 拡張性も 考えて フルタワーにしよう!」と 意気込んで、 堂々たる フルタワーケースである Fractal Design Define 7 XL を 選んだの だが、 結果 的に その 大きさは やや 過剰。 期待に 胸を 膨らませながら 組み立ててみた ものの、 いざ日常生活に 置いてみると 「これ、 部屋の 主役の 座を 取られてない?」と いう レベルの 存在感。。
しかも、 結局 「拡張」したのは NVMe SSD の 追加くらいで、 特に フルタワーの 恩恵を 活かす 場面も 少なかったのである。
さらに 考えれば、 今や HDD の 必要性も 薄れ、 SSD が 一般的な 選択肢と なりつつある。 確かに 今回の 構成にも WD の 6TB HDD を 入れたが、 バックアップと して 放り 込んでいただけで、 ほとんど アクセスする 機会もなく、 ほぼ 「積み上げた デジタルの タイムカプセル」 状態に。
現在は SSD の 価格も かなり リーズナブルに なってきており、 今後の 自作 PC では すべて SSD に 切り 替え、 可能なら M.2 SSD を 使う ことで スペースも 節約し、 コンパクトに 仕上げる 方が 断然効率的である。
とは いえ、 この 自作 PC には ほかに 大きな 不満は なく、 むしろ期待通りの パフォーマンスを 発揮してくれた。 仮に 今後 自作する 機会が あれば、 より コンパクトかつ合理的な 選択を 心がけて、 サイズ感にも 配慮した 「ほど よい 拡張性」を 備えた マシンを 目指したい。
PC 背面。コードは綺麗にまとめた
ついに、 自作 PC を 手放す ことを 決めた 理由は、 「引越し」と いう、 物の 本質に 向き合う 機会を 得たからであった。
引越しには 不思議な 力が ある。 普段は 気にも 留めない 「な ぜ これを 持っているのか?」と 物の 存在意義を 問い直す機会を くれるのだ。
特に、 我が 愛機である フルタワーの 自作 PC は、 引越しを 控えた タイミングで 真剣に 「この 大きさは 本当に 必要か?」と 考える きっかけに なった。
ここからは 少し 個人的な 思想に 触れるが、 私は もともと シンプルで 軽やかな 生活に 憧れ、 どこに いても PC 1 台 あれば 完結する 生き方に 魅力を 感じていた。 プログラマと いう 仕事に 就いたのも 「PC さえ あれば、 世界中どこでも 仕事が できる」と いう 自由への 憧れからだった。
事実、 プログラマに なりたての 頃は ノート PC 一台が 唯一の 相棒で、 どこでも コードを 書ける 気楽さを 満喫していた ものである。 リビングの 机、 ソファ、 場合に よっては 公園の ベンチでも プログラミングを していた。
だが、 いつしか 「効率化」を 追い 求めるうちに、 重厚な デスクを 構え、 マルチモニターを 配置し、 電力を 大量に 消費する 高性能な デスクトップ PC を 揃え… ふと 気づくと、 まるで 自分が 構築した 「仕事の 城」の 中に 閉じ込められてしまったかの ようだった。 効率的な 作業環境と しては 正しいかもしれないが、 自由な 発想や 創造性を 求める 気持ちに とっては、 やや 窮屈な ものになっていたのも 確かである。
「本当に この 姿が、 自分の 理想と していた 働き方なのか?」と 考える 日々。 答えは まだ 見つかっていないが、 ひとつだけ 確かなのは、 「身の 回りを 軽量化する こと」が 思考の 自由に つながる 第一歩 だと いう ことである。
気持ちを 軽く、 行動の 自由度を 上げていく ことで、 再び新しい 発想や ひらめきを 得られるのではないかと いう 希望が 湧いてくる。
結局、 現在の 自分の 仕事に おいて、 大抵の ことは ノート PC で こなせる ことに 気づいた。 ノート PC で 完結できる 仕事が 多い 今、 シンプルに 戻り、 PC の 重さから 解放される 決断が できたと いう 訳である。
バラした後の PC パーツ
い ざ手放してみると、 なんとも 言えない 清々しさが ある。
自作 PC に かけた 時間と 情熱、 そして 手を 加える たびに 感じた 愛着は、 これからも 消える ことは ないだろう。
技術の 進化に 伴い、 ノート PC で 事足りる 作業が 増え、 むしろシンプルな ワークスタイルが、 思考や 創造性の 新たな 広がりを 生むこともあると 信じている。
とは いえ、 もしもまた フルタワーケースを 見かけたら… 果たして、 その 誘惑に 勝てるかは わからない。 いや、 むしろ 「今回は 本当に 必要か?」と 再び悩むだろう。 その ときこそ、 もう 一度、 あの 頃の 自分に 立ち返る ことができるかもしれない。
これにて 私の 相棒への お別れ記事を 終えるが、 心の 中では 「ありがとう」の 言葉で 締めくくって おこう。